· 

検査はどこまで役に立つのか

(アーカイブ;2006年10月号)

 

 

 ケンサ。って聞くとなんだかコワイなあって思いませんか。自分の知らなかったからだの異常が、ケンサで見つかるかもしれないと思うと、知りたくもあり、知りたくもなし、いっそケンサをやめちゃおうと思う人もいます。反対に、だいじな自分のからだだから、きちんと検査してもらって治せるものは早く治してしまおうと考える人もいます。

 

 それでは、今の病院でおこなわれている検査法では、いったいどれくらいのことがわかるのでしょうか?検査をきちっと行なったら、ほとんどのことがわかるのでしょうか?それとも、検査ではわからないことも多いのでしょうか?

 

 

 

 江戸時代までのお医者さんは、今でいう検査法などすべてなかったころですから、目で見て鼻でかぎ手でさわり、話を聞いて診断をしていました。そのころの記録を読んでみると、これはとんちんかんだなあと思うこともあれば、今読んでもすごいと思う報告もあります。

 

 明治時代は、近代医学のあけぼのといわれる時代です。血液や尿を調べる検査法がはいってきました。聴診器を使って心臓や肺、消化管の働きを調べることもできるようになりましたが、基本はまだまだ話を聞く問診とからだを調べる診察が医学の中心でした。

 

 その後、レントゲンが発明されました。これでいままで見ることができなかったものを見ることができるようになったのです。いまから100年前くらいのできごとです。最近では、CT、MRIなど、つぎつぎと新しい装置が発明されて、いままでわかりにくかったことを、どんどん目に見えるかたちで調べることのできる検査法が生まれてきました。

 

 こんなふうにさらっと書きましたが、あたらしい機械ができたときはみんなが「すごい!」と思います。私が医者になったころは、まだMRIという機械がなくて、MRIならかんたんにわかるようなことを、ほかの検査法で苦心さんたんして調べたものです。はじめてMRIを使ったときは、あんまり簡単にいろいろなことがわかるものだから、拍子抜けしてしまったものです。

 

 血液検査の進歩もすごいものです。血液検査がなかったら診断ができない病気が見つかったり、いろいろな病気のスクリーニング(その病気の可能性がないか調べる)までできるようになりました。今の医学が、こういった検査法の発達のおかげで進歩したことはまちがいないでしょう。

 

 では、検査さえ完ぺきに行えば、すべてのからだの故障・病気がわかるかというと、これもちがいます。

 

 まず、レントゲン、CTやMRIなど、画像診断と呼ばれる検査は、本物を見ているわけではないということです。え?写真のようにうつしているんだから、見えてるんじゃないの?と思うかもしれませんが、レントゲンは放射線を使った一種の影絵で、骨のほかにもいろいろな影が重なって見えます。慣れてくると、これを細かく読んでいけますが、それでも影の重なりぐあいでなにもないところにおかしな影が見えたり、反対に異常な部分が影にかくれて見えなくなったり、ということがおきます。

 

 健康診断でとるレントゲンですべての異常が見つからない理由のひとつは、この読み方のむずかしさにあります。CTとMRIは原理がまったくちがうものの、やはり影絵です。ただし、たくさんの影絵をコンピューターをつかって立体的に合成しますから、まるで本物のからだをスライスして断面を見ているようです。とてもリアルなので、ほんとうのように見えますが、そこにじつは落とし穴があります。というのは、コンピューターで合成するさいに小さな異常が読み込まれなかったり、逆に正常なところが異常に見えたりということがおきます。これも経験のあるお医者さんたちはわかった上で読み取りますが、それでも見のがすということがおこります。

 

 血液や尿の検査はどうでしょうか。からだに故障がおきると、からだの新陳代謝にある変化が起きます。それがめぐりめぐって、血液や尿の成分にいろいろな変化があらわれます。これを化学的に分析したものが検査結果として出てきます。とても特殊な成分の分析では、ある特定の病気(たとえばガン、遺伝病)についての情報がわかりますが、たいていの検査は、いろいろな病気で数値の変化があらわれるので、ひとつの検査結果だけで病気の診断ができるわけではありません。たくさんの検査を組み合わせると、病気の数はしぼられてきますが、それでも検査だけで病気の診断ができるということは少ないといってよいでしょう。

 

 それでは、どうやったら、医師は正確な診断をくだせるのでしょうか。じつは、そこがお医者さんたちにとっても問題なのです。いまの検査すべてをあわせても、複雑精巧なからだのしくみをじゅうぶんに調べつくしたとはいえません。おそらくは、どんなに検査法が発達しても、検査だけであらゆるからだのなぞを調べつくすことはできないのではないでしょうか。

 

 それでも、お医者さんは、毎日のしごとの中で、できるだけ正しい判断をしなければなりません。だから、むかしながらに目で見て、鼻でかぎ、手でさわり、話を聞く。これがたいせつです。そして、検査と組み合わせ、なぞに近づいていく。そこにこのしごとのおもしろさがあるのです。